昭和51年(1976年)8月8日(日曜日)少年少女新聞(週間)より

「33年前の思い出 涙とともに動物をころす 」



話す人


寺内信三さん(元園長)

狩野(かの)徳松さん(元飼育係)

岡村卯三郎さん(元飼育係)

原 春治さん(元飼育係)




今から31年まえの8月15日、世界じゅうを戦争にまきこんだ第二次世界大戦がおわりました。

この戦争のため世界で2000万人のひとがなくなりました。

人間だけでなく動物もこの戦争のためにぎせいになりました。

大阪市立天王寺動物園でも、ゾウ、キリン、カバがえさ不足と

病気で死に、ライオン、ヒョウなど26頭の猛獣が軍の命令でころされました。

このときのようすを、とうじ天王寺動物園の園長だった寺内信三さん(75歳)と

飼育係の狩野徳松さん(78歳)、岡村卯三郎さん(73歳)、原春治さん(69歳)から

はなしをききました。(田辺記者)





「いまでも、ころしたヒョウやライオンの顔がおもいだされてね」

原さんは、目になみだをうかべて話します。

原さんは猛獣係で、三頭のライオンと一頭のヒョウをとくにせわしていました。

三頭のライオンは、あかんぼうのときから、原さんがミルクをのませ、

風邪をひいたときはとまりこみで看病してそだてたのです。



「六歳になって、わたしよりおおきくなっても、

 オリのなかでいっしょにあそんでもへいきだったんですよ。

 それから、ヒョウはひとになれにくいといいますが、

 わたしが係をしていたヒョウは、からだをなでたり、

 うまのりしてもおこりませんでした」



これほどなついていた猛獣を、第二次大戦がはじまって二年たった

昭和十八年の五月、「爆弾がおちてオリがこわされたら、町へにげだしてあぶない」

というりゆうでころすことになったのです。

「ライオンやヒョウなど、ずっと子どもたちをたのしませてきたんですから、

できたらいかしておいてやりたかった」と寺内さん。





すでに天王寺動物園では、ゾウ、キリン、カバはえさ不足や病気で死んでいました。

戦争がはげしくなると、わたしたちでさえたべ物がなくなり、大豆かすやイモをたべていたのです。


「戦争のはじまるまえは、ゾウは草のほかパン、牛乳、オニギリ、

 フスマなどをあたえていましたが、しまには、

 草とサツマイモのツルだけになってしまったんです。

ゾウはおなかがすいてがまんできなかったのか、

まい晩、床にしいておくワラをきれいにたべてしまいましたよ」と岡村さん。


「わたしはずっとチンパンジーのせわをしていましたが、バナナがなくなり、

 高級果物店や喫茶店でたかいおかねをだしてかってやりました」と狩野さん。


カバが死んだとき、おなかのなかから、イモのツルが消化されず石のようにカチンカチンにかたまって、でてきたそうです。

ゾウもキリンもカバもしだいにやせていき、さいごはたおれて、

おきあがれなくなって死んでいったのです。





昭和十八年の八月すえ、東京の上野動物園で猛獣をころしたというニュースがはいると、寺内園長は

「いよいようちの動物園でも・・・」

というおもいで、毎日むねがしめつけられるようでした。

最初にころされたのはヒグマでした。

「毒いりのえさをたべさせたところ

 まる一日、くるしんで『ウーウー』とうなっていましてね。

 クマの飼育係は、それにつききっりみていなければならなかったんですから、

 もうつらくて・・・」


「毒をたべさせられるとはしらず、えさをもらいに、

 すりよってくるライオンをみていると、それはあわれだった」


ライオンは毒いりの肉をたべてから五、六分で、

しずかに前足からくずれるようにたおれたそうです。


さいごが、原さんのせわしていたヒョウでした。

「なかなかりこうなやつでした。毒いりの肉を三回たべさせたのですが、

 すぐはきだしてしまいました。

 しかたなくしめころすことになったんです。 

 わたしがロープをもってオリにはいりました。

 いつものように、からだをなでてやると、よろこんでいました。

 私は心を鬼にしてロープを首にかけたんです。

 オリのそとでロープをもっているひとにあいずをすると、

 わたしはオリからとびだしました。

 むごいことでした。

 わたしはみたくなかったんです。

 四、五分してからオリにもどりました。

 ヒョウはくるしかったのでしょう。ツメをぜんぶたてていましたよ。

 わたしは、かわいそうで、その日一日、ほかのひとの顔をみたくなかったし、

 家へかえっても、ごはんがたべられなかったですよ」


ころされたライオンやトラは、ハク製や毛皮となりました。

昭和十九年三月をさいごに、猛獣二十六頭をころしたあとの天王寺動物園は、

ブタ、アヒル、ウサギなどがのこるだけになりました。


「戦争のためですよ。二度とこんなことをくりかえしたくないですね。

 戦争はいやです」

原さんがいい、ほかのひともうなずいていました


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